「結婚」にまつわる苦い経験が2つある。 ひとつは、友人の結婚を母に話した際の反応だ。 その友人は家庭環境に恵まれず苦労して育った。 でも優しく強い人で、私より年下ながら見習う点も多かった。 友人は長い間、「婚活」をがんばっていたのを知っていたから、結婚すると聞いた時は本当にうれしかった。 結婚相手のことや結婚式の...
ゆう
小学生の息子を育児中。
育児をきっかけに、自分が「アダルトチルドレン」かもと気づく。
両親との関係、家族の問題に正直に向き合い、健全な心をとり戻したい。
その過程をブログに綴ります。
ゆうの記事一覧
前にも書いたけれど、母には友達がいない。 家に誰一人母の友達が訪ねてきたことはないし、手紙も来なかったし、電話もなかったから、本当に1人も友達がいなかったのだと思う。 母に友達が1人いたら、どんなによかっただろう。 家族のことを相談したり、一緒にお茶して息抜きしたり。 家族とは別の世界、別の時間を過ごせる友達は必要...
母が突然家を出ていってからは、時々外で母と会うようになった。 私は17歳か18歳だった。 会うといつも母は暗い顔をしていて、不幸そうだった。 父からの経済的な援助はなかったから、それまでのパートに加えて、他にも短時間のアルバイトをしていた。 ろくに睡眠時間も取れなかったようだ。 もちろんお金を稼がないと生きていけな...
友達のいない母は、親戚づきあいも好きではなかった。 今でも残念だと思うのは、父方の祖父母と過ごす機会がとても少なかったことだ。 祖父母がどんな人だったのか、私にはわからない。 もっと祖父母と一緒の時間を過ごして思い出をつくりたかった。 父方の祖父母は飛行機が必要な距離に住んでいたので、たまにしか会えなかったのはしか...
中学生の時、三者面談があった。 中学校で、担任の先生・親(母)・生徒(私)の3人で15分位の面談をする。 ふだんの学校生活や成績・部活などをざっくばらんに話す機会だったと思う。 当時私の担任は、40代の前向きな明るい先生だった。 生徒一人一人のいいところを見つけてくれるような、いい先生だった気がする。 そんな先生な...
小さい頃、母の言うことを聞かないとよくほっぺたを平手打ちされた。 それも手加減していないんじゃないかと言うくらい、痛く感じた。 子どもを憎むような顔つきでほっぺたを平手打ちした母の顔は忘れられない。 何にそんなに怒っていたんだろうか。 母が自分の感情をコントロールできなかっただけなのではないだろうか。 父にも数回程...
20代の中頃まで、私はよく「ささいなウソ」をついた。 これは半ば習慣になっていて、いつも自然と小さなウソをついていた。 どんなウソかというと 「昨日はうどんを食べた」→実際はラーメン 「昨日見たテレビ番組はXXX」→実際はちがう番組 「昨晩は10時に寝た」→実際は11時 本当にどうでもいいウソだ。 自分をよく見せる...
高校生になって英語が好きになった。 英語の成績はとてもよかった。 他に興味がなかった高校生の私は、大学に進学せず英語の専門学校に行きたかった。 でも 「英語は学問ではない。手段だ」 と父に言われ、大学に進学することにして受験勉強をはじめた。 成績はよかった。 自分なりに一生懸命勉強したし、成果が出るのが楽しかった...
父は、社会的に地位の高い仕事についていた。 引退した現在も「先生」と呼ばれることが多い。 そんな父が浮気をしたことが、両親の仲が険悪になった最初の原因だった。 当時、母は子どもたちのためを思ってはっきり浮気のことを言わなかったけれど、小学生だった私もあるきっかけで気づいた。 それまでは家族に多少問題はあったかもしれ...
母は中途半端な教育ママだった。 小学生の私は月曜日から金曜日まで習い事があった。 どれも私が習いたいことではなくて、母が習わせたいことだった。 だからどれもたいして楽しくなかったし、中途半端にしか身につかなかった。 母は夫(私の父)に相談なく習い事を子どもたちにさせて、それも夫婦ケンカの原因になっていた。 家では...
母は食事の準備や送迎はちゃんとしてくれた。 でも冷たかった。 私が中学生になってまもない頃。 父が仕事帰りに私だけレストランに連れて行ってくれることになった。 たぶん、何かのお祝いだったのだと思う。 その日は冬で、雪がちらつく寒い日だった。 当時、私は自分のコートを持っていなかった。 前の年に着ていたコートはサイ...